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ペルー・天空都市マチュ・ピチュ新・世界七不思議の旅

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【山の上に造られた古代都市遺跡はどこから眺めても飽きることのない絶景】





ペルー共和国、通称ペルーは、南アメリカ西部に位置する共和制国家である。北にコロンビア、北西にエクアドル、東にブラジル、南東にボリビア、南にチリと国境を接し、西は太平洋に面する。首都はリマです。

紀元前から多くの古代文明が栄えており、16世紀までは当時の世界で最大級の帝国だったインカ帝国(タワンティン・スウユ)の中心地だった。その後スペインに征服された植民地時代にペルー副王領の中心地となり、独立後は大統領制の共和国となっています。

マチュ・ピチュ は、15世紀のインカ帝国の遺跡で、アンデス山麓に属するペルーのウルバンバ谷に沿った山の尾根(標高2,430m)にあります。当時、インカ帝国の首都はクスコで、標高3,400mに位置する。標高2,430mのマチュ・ピチュから、さらに約千メートル高い場所にその首都があった。現在のクスコはペルー有数の都市でその市街地は世界遺産(文化遺産)である1983年に登録された。

また《新世界の七不思議》・ユネスコ公認であるかのように誤解を招く表現を使用していたことに対する批判もあり、最終結果の発表に先立つ2007年6月20日、ユネスコは、「新・世界七不思議」が世界遺産やユネスコとなんら関係ないと声明を発表した。新・世界の七不思議については、幾度も支援依頼を受けたが、協力しないと決められた。



なお、インカ帝国は1533年にスペイン人による征服により滅亡したが、アンデス文明は文字を持たないため、マチュ・ピチュの遺跡が何のために作られたのか、首都クスコとの関係・役割分担など、その理由はまだ明確にわかっていない。
「マチュ・ピチュの歴史保護区」マチュ・ピチュ遺跡と、その周辺から成り立っている世界遺産です。標高2,280mの頂上にあって山裾からその姿が見えないので、「空中都市」とも呼ばれています。

1911年、ペルーのアンデス山中をアメリカ人大学講師ハイラム・ビンガムの一行が歩いていました。断崖絶壁の急斜面・人一人歩くのが精一杯の獣道・危険な吊り橋などなどを乗り越えて、彼らは先住民がマチュ・ピチュ(年老いた峰)と呼ぶ尾根を目指しました。インカ帝国の末裔が築いた『黄金郷ビルカバンバ』があるに違いないとふんでいたのです。





ビルカバンバは、1533年にスペイン人によってインカ帝国が滅ぼされた後、インカの皇族がスペインへの反乱の拠点として築いた都市。しかし40年後、反乱軍は捕えられ、都は放棄されました。スペイン人たちは、インカの財宝を求めて幻の都のありかを探索しましたが、見つけることはできませんでした。

やがてこの都の存在は伝説になり、19世紀以降、多くの学者や冒険者が探し歩きましたが、アンデスの厳しい自然に阻まれ、ことごとく失敗。ビンガムも伝説に挑む一人でした。彼が到着した標高2400mの峰の頂に木や苔に覆われた都市遺跡が忽然と姿を現したのです。
面積5km2程の都市の北側には、標高2720mのワイナ・ピチュ(若い峰)がそびえ、東西は断崖絶壁。600m下にはU字型にウルバン川が流れます。空中に浮かぶこの都市を見たビンガムは、これこそが探し求めていたインカ帝国幻の都ビルカバンバだと考えました。





しかし、盗掘された後だったのか、黄金を見つけることはできませんでした。後にここはビルカバンバではなく、15世紀半ばに造られ、100年程で放棄された古代都市だと判明しました。こうして発見されたマチュ・ピチュはインカ帝国の都市構造を残す貴重な遺跡として世界遺産に登録されました。

なぜマチュ・ピチュが築かれたのかは未だに謎に包まれています。
1.発掘された遺骨173体のうち150体が女性のものであったことから、「アクリャ(太陽の処女)」という宗教活動に従事した女性が引退後 余暇を過ごした場所という説
その後、男性の遺骨も次々に発掘されたために、それを否定する説
2.儀礼や薬に用いるコカの栽培所という説
3.皇帝の別荘だった説
などなお、様々な説がありますが、謎の多い中で唯一確かなのは、インカ帝国の他の都市と同様、マチュ・ピチュもまた機能的な都市であったということです。

水道橋や水路を通じて遠方の山から引かれた水は畑や市街地へ給水され、16ヶ所の水汲み場も設置されました。市街地には大広場を中心に、神殿群、皇族用の建築群、住居があり、狭い石畳の路や階段でつながっています。
太陽を崇めたインカの人びとは、太陽の動きで暦を把握していたと言われています。大広場の南にある「大塔(太陽の神殿)」は、冬至の儀式が行われていた場所と考えられています。塔内の聖なる一枚岩に刻まれた帯状の窪みと、窓から差し込む光が、年に一度冬至の日の朝に重なるのです。彼らはそれを見て、暦を知り、一年の農事や儀式の日程を決めていたとも言われています。



マチュ・ピチュ遺跡はインカ帝国時代の遺跡の中では保存状態が極めて良く、ネコ科のオセロットやインカの人々に「太陽の使者」として崇拝されていたコンドルをはじめ、周辺の自然環境には絶滅危惧種・危急種なども生息しています。

《マチュピチュの大塔(太陽の神殿)》塔(太陽の神殿)は、曲線を石組みで表す高い技術を用いて造られています。直線的な石組みの建物が多い中で、非常に特徴があります。窓が二つあり、東の窓は冬至の朝、南の窓は夏至の朝に太陽が正確に差し込むといわれています。そのため、暦に関する建築物だったのではないかとも考えられています。



《マチュピチュの主神殿》主神殿はマチュ・ピチュの中でもいちばん重要な神殿と言われており、3つの窓の神殿と広場に面しています。壁には17個のニッチ(飾り棚のような意匠)が設けられており、ミイラが置かれたとも言われていますが真相は不明です。

《コンドルの神殿》コンドルの神殿は、自然の石の上に人工の石組みを積み上げたもので、翼を広げたコンドルのように見えることからそう呼ばれています。手前には、コンドルの頭部とくちばしをかたどった大きな平石があります。

《インティワタナ》「太陽をつなぎとめる場所」という意味のインティワタナはマチュ・ピチュの都市遺跡の中で最も高い位置に置かれた花崗岩で、その高さは1.8mあります。上に35㎝ほど突き出ている石柱の四つの角は、東西南北にすべて対応しており、対角線上を冬至の太陽が通過するそうです。



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