【東北地方 山形 新庄城址(最上公園)】
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新庄城は、新庄藩祖戸沢政盛が築いたもので、寛永二年(1625)の完成と伝えられています。
本丸は東西52間、南北127間、正面奥に天守櫓がそびえ、周囲は堀と土居で囲まれ、三隅に櫓を有する平城でしたが、寛永十年(1636)の火災以来天守櫓は再建されませんでした。
本丸の東側に二の丸・三の丸が設けられ、侍町を形成し、その外側に町人町がおかれました。
新庄城は243年間、戸沢氏の居城として新庄藩政の中心となりましたが、戊辰戦争に際して、庄内勢に攻められ、市街地もろとも消失してしまいました。
その後、本丸には新庄学校、郡会議事堂などが建てられましたが、現在は戸沢神社、天満神社、護国神社が祀られ、最上公園の名で親しまれています。
二の丸跡は新庄小学校、新庄北高等学校、新庄南高等学校の敷地になりましたが、その後、小学校、新庄北高等学校はほかに移り、市民文化会館、ふるさと歴史センターが建っています。